終身雇用や年功序列に陰りが見えたとして、働き方に多様性がうたわれてそれなりの年月が経ちました。
バブル期に流行語として登場したフリーター、就職氷河期以降にたびたびそのあり方が論じられる派遣労働、ネットバブルに乗じて起こったIT起業など、時代とともに流行や社会問題として語られてきたものが多いのは、やはりひとりひとりの金銭や生活そのものに関わるものだからでしょう。
最近、まわりでよく耳にするのは、同じ所属の人たちが固まるオフィスを離れて仕事をするノマドや、所属が異なる人やフリーの人たちが仕事をする空間を共有するコワーキング、組織に所属しながらもオフィスを離れて在宅などで仕事をするテレワーク、地方創生の流れに乗って自治体が地方暮らしを喧噪するUIJターン、そして投資ブームに乗っかった起業といったあたりでしょうか。
仕事とプライベートを切り分けてその均衡を問うワークライフバランスなどといった言葉も、よく見かけるようになりました。
さまざまなワークスタイルを選ぶ人が増えたのは、おそらくいいことでしょう。その人自身が納得できるスタイルで、かつパフォーマンスがあがったり、物心ともに不利益を講じない手段であるならば、自分に合っていると思われるものを選べばいいんだと思います。
上記に挙げたいろいろな言葉のうち、自分に経験が当てはめられそうなものについて、自分なりに解釈をしてみたいと思います。
【フリーター】限られた時間でのコントロールが命 新卒で入った就職先を辞めたのが28歳になる頃。大学院で勉強に集中するために、4年務めた会社を辞めました。平日の昼間に自宅からジーンズで外出をしたときの爽快感は、その日の春の青空とともにいまでも印象に残っています。
その会社は編集プロダクションだったのですが、編集・執筆は“手に職”の仕事だったので、当時の上司が「会社は辞めても仕事は辞めるな」と言って、外注で仕事をくれたほか、学生時代から続けていた塾講師のアルバイトや、新たに増やした家庭教師など、複数の仕事にありつけていました。
大学院で入ったコースが、ハローワークの給付対象外だったのが痛恨でしたが、退職間際の仕事が残業350時間だったりで、手当てが膨らんでいた幸運もあり、なんとかスタートを切れました。
が、予定してた年数で大学院を修了できず、3年目くらいから研究活動と仕事の時間のバランスも崩れ、完全にコントロールを失ってしまい、多忙なのに収入が途絶える苦しい状況に。請けた仕事を落としたり、研究室のプロジェクトもドロップアウトという、完全な自滅状態でした。
30歳手前でひとりでやっていたことが多かったので、だれかに振ったり頼ることもままならず、いま思えば、単価も高く時間の融通がしやすい編集・執筆の仕事に絞ってもよかったかもしれません。
【IT起業】“だれとやるか”は慎重すぎて損はない その絶望から自分を救ったのは、友人の手伝いで関わり始めたITベンチャーでした。大学や他の仕事をすべて辞め、ベンチャーの社員としてはじめての仕事に切り込んでいきました。モバイルコンテンツ制作の会社でしたが、需要がある分野で競合も少なかったので、客先に食い込めば仕事は取れる時代でした。
制作物はデジタルでも、プロダクションであることには変わりないので、編集者時代の仕事をまわすスキルが活きたのと、メルマガなどのライティングはそのまま執筆の腕が活きました。
部長や役員になり、ディレクターから営業、組織編制、売上管理など、教えてくれる人もないままに初めての業務をがむしゃらにこなしてきましたが、仲間たちが優秀なおかげで、こちらもなんとか食うことができました。
しかし、徒手空拳の我流ではおのずと限界もあり、最後は経営者とそりが合わず、追い出されるように退社します。
ベンチャーを離れたあとも仙台で何かできることがあるのでは?と思い、現地に残りますが、地元でもない街で、経験のない分野で、旧知の仲間もいない状況では、何をやっても手詰まり状態。その後、再起をかけてもう一度、起業を目指したもの、やはり仲間に迷惑をかけ、失敗に終わったこともありました。
起業において“だれとやるか”はとても大事。ここだけは慎重すぎて損はないように思います。メンターのような存在も必要でしょう。ベンチャー時代に切り開いてきたことを、”自分でもできた”という成功体験として過信してしまい、次の失敗を引き起こす要因にもなりました。勢いの中にも、慎重さと謙虚さを持っていたいものです。
【ノマド】電源とネットで居場所の自由度が変わる
まわりに迷惑をかけながら何年か踏みとどまっているうちに震災が起こり、そこから起こした新しい活動などがようやく自分の役割としてまわりはじめるようになりました。
この頃から、特定の所属やオフィスをもたないスタイルで全国を飛び回るようになり、完全なノマドとなります。とはいえ、パソコンやスマホを使いながらの仕事なので、電源やネット環境は必須。2011,12年ごろは、まだそうした環境は少なかったので、いられる場所は限られてきます。
カフェや新幹線などに電源が完備されるようになって、日常の居場所の自由度があがってきたように思います。
いまでは特定の用がない限り、決められた時間に決められた場所にいるということはほとんどありません。目が覚めればその場で仕事をはじめられるし、また止めることもできます。
【UIJターン】全国各地を居場所にすれば概念そのものが変わる そのITベンチャーは本社が仙台でした。東京で仕事を取り、仙台で制作をする。新幹線で1時間半の距離を毎週2~3往復。経費を気にかけてバス往復を繰り返していた時期もありました。
UIJターンは、移住してその土地で働くことを指すのでしょうが、私の場合、東京も仙台も、どちらも住処のようで職場のようでという生活だったので、日替わりターンとでも言う日々でした。住所をどこにおこうが、国内なら大変の地域が半日から1日で移動ができてしまいます。
東京と地方のどっちに住むかではなく、住む場所を定めず、どっちも日常の行動範囲にしてしまうスタイルなので、見ようによってはめちゃくちゃです。
この動きは、その後、北海道から沖縄まで拡がってきたので、私の中では”移住=移動しながら生活”と定義しなおしたいくらいな感覚になってきます。
しかし、年齢を重ねると気力・体力との兼ね合いがあり、最近は東京に比重を置きながら、必要なときに地域に出向くようにしています。全国へ動くには、結局、移動の便がいいのはやはり東京ということです。
【コワーキング】同じ場所で縛れる仲間がいるか 私のような働き方だと、コワーキングが適しているのではないか?という見方もできそうですが、いわゆるコワーキングスペースという空間は、実はほとんど使ったことがありません。だれかと話したり、協働したいときは、自分から場をつくったり、相手の場所まで会いに行ってしまうし、ひとりで作業するならカフェで十分です。
特定の仲間がなんとなく集まるという空間はあればありがたいですが、私の場合、その“仲間”が全国に散っているので、そもそも同じ空間にいる状態が成り立ちません。
私のような人間には、もしかしたら、オンライン上で在席・空席が共有できるバーチャル・コワーキングスペースのようなサービスがあってもいいかもしれません。チャットのオンライン・オフラインと変わらないような気もしますが、インターフェース次第ですかねw
【テレワーク】自律・自走できる人々にはぴったり
いまの会社はゼロからの立ち上げで参画ですが、オフィスに通うスタイルは最初から採用していません。全員、遠隔で自分の都合にあわせた場所で業務を行うことができるので、いわゆるテレワークの範疇に入ってくるはずです。
ひとりひとりがフリーエージェントに近い動きなので、そのほうが効率的です。情報や意識の共有を怠るとトラブルを生みやすいデメリットがありますが、いまはオンラインでいつでも会話ができる環境なので、たとえば同じオフィスで島が違う関係よりも、やりとりの密度は濃いかもしれません。
指示がないと動けない人にこのスタイルを適用させると、その人の仕事の密度や成果は、管理者の力量にほぼ依存することになるので、その意味では慎重な判断が求められるスタイルでもあるでしょう。
【ワークライフバランス】ワークとライフに境目はあるのか 向き合い方が難しい言葉だと思っています。私にとって、ワークとライフは明確に二分できないからです。お金にならないけど、心血を注いて成果を出したい活動があります。これが趣味の世界なら、ライフに分類してしまえばいいのでしょう。しかし、これが仕事につながることもある。
というか、好きで意義があると思ったことを金銭抜きでゴリゴリやってみて、そこに周囲のだれかが価値を認めてお金を払えば、それは仕事になります。ほかの人もお金を払い出し、その動きが継続すれば、その仕事は職業になります。ここ数年は、そうやって仕事を増やしてきました。好き勝手やっているうちに、そういう形に収れんしてきたのでしょう。
しかもそれが、楽しい空間から生まれてくる。子どもの頃の友人たちとのプライベートな人間関係からも生まれてくる。日常生活の中にヒントがあり、日々の営みと一緒にデザインされていく。ワークとライフの境目はどこにあるのでしょう?
決められた時間に決められた場所で、だれかに管理をゆだねる形で、組織で働く人には有効な考え方だとは思いますが、そこからある程度の自由を手にすると、ワークとライフは混然一体となり、両者が楽しさで統一されるのが、ひとつの理想であるように思います。
まとめ:働く自由とは何か 憲法で国家権力が市民に約束していることのひとつに「職業選択の自由」があります。生い立ちなどの自分でコントロールできない要因で、就ける職業が制限されてしまうことを禁じ、好きな職業を選ぶ機会を得ることができるという権利です。 「選択」というと、何か目の前にメニューとしてならべられているイメージがありそうですが、そうではありません。
時代の変化によりあらゆる職業が、生まれては消えていきます。働き方の多様化は、技術の進化と相まって、職業そのものの変化も生むでしょう。新しいビジネスを生むとは、新しい職業を生むことにもなるでしょう。お金の動かなかった活動に、だれかが金銭を払ってもよいという価値を認めれば、それが仕事になり、職業になります。
既存の職業の大変は、そうやって過去に誰かが作って、私たちに残してくれたものででしょう。ならば、私たちも同じように、新しい仕事や職業を作っていいはずです。時代が動く限り、職業が出尽くすことはないはずです。
働く自由とは、そうした創造を自らの手に引き込むことでもあり、職業選択の自由とは、そうした職業の創造を社会全体が許容することを指すのかもしれません。