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  • Ryo Hara

ひとり勉強会


仙台にいるとき限定で「ひとり勉強会」なるものをはじめてみました。

〇〇勉強会みたいなのは、これまでセミナーやらワークショップやら、全国でもう数百本とあれこれ開催しまくってきて、ノウハウらしきものもいくつかは身についてきたように思う。

テーマの決め方、タイトルの作り方、場所や日程の確保、告知の展開の仕方、チラシや告知ページの制作、集客、関係者との各種調整、主催者や共催者にあわせた建付の仕方、当日運営、会場レイアウト、飲食の提供、進行のパフォーマンスetc.

ショーアップされた大きなイベントのノウハウは薄いですが、数名から500名規模くらいまでは何かしら企画・運営側を経験しているので、なんとなくツボはわかる。うまくできるかどうかは別ですが。

イベントである以上、人を集めるので、他者との関わりが必ず生まれます。

参加者の人たちが何を動機に、どこへ向かっていけばよいのかも描き、関わる人たちの関心にもアジャストして…楽しいけど、心を砕くので、まぁ、疲れます。

そうした諸々から自由になって、もうひとりで好き勝手にやる勉強会をやってみたい。

ということで、自分で好きなテーマを、好きなタイミングで気まぐれに、だれも来なくてもいいスタイルでやっちゃおうという気分になったので、はじめてみました。それが「ひとり勉強会」です。

たとえばこんなタイトル。

ひとり勉強会Vol.1「アレグザンダー『パタン・ランゲージ』を読む その1」 https://www.facebook.com/events/1770843979595451/ ひとり勉強会vol.2「再考・シェアリングエコノミー ~シェアで描くローカルの生き残り策」 https://www.facebook.com/events/1897502643911692/ ひとり勉強会vol.3「石橋湛山と石原莞爾 ~二人の日蓮信者が描いた世界平和と満洲論」 https://www.facebook.com/events/149710085803365/

まだ2回しかやっておらず、明日で3回目ですが、やってみると面白いもので、普段やる機会がない自分の好きなテーマを掲げてみると、興味ある人が反応してくれたり、参加したいと言ってくれたり。

結局、他者との関わりが生まれるわけですが、そこに責任とか義務とか負わずにいいというルールにしているで、自分の心地よさを最優先にできるのがひとり勉強会のいいところ。

他者との間にいろんな利害なり、想いなりが交錯すると、つい他人軸になってしまう。ふらふらしがちな自分の場合は特に。

なので、この人を集めない勉強会という矛盾したイベントは、自分軸で自分の「好き」を開放するための自己表現だと位置づけています。

気が向いたときに気がむいたことをするので、仙台以外でもやるかもしれないし、何人か声をかけることもあるかもしれない。尻切れトンボでやめちゃうかもしれないし、狂ったように毎日やるときもあるかもしれない。

最初に決めた何かを縛りにすることなく、のびのびとやる。そうするのが心地いいと感じているので、そうしているだけ。過去や未来ではなく、いまそう思ったから。

知らぬ間に頑なになりがちなお年頃でもあるので、そうした心の動きに素直でいる時間というのも、必要なんじゃないかなと思う。

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