好き勝手に走り回っているうちに、いろんなお役目を賜り、肩書きらしきものが2桁に到達しました。
特に減らそうとも増やそうとも思ってないし、肩書きが好きなわけでも嫌いなわけでもなく、それで周りが自分を便利に使えるなら、まぁ、別にいいんじゃねーの?と。
こうした動きが個人にとってどういう意味合いを持つのか、ちょっと考えてみたいと思います。
本業と違う活動を持つこと
最近は、ひとり一役を越えて活動をすることを推奨する動きもあるようで、「本業のほかに、何か好きな活動をやって、会社とは違う名刺を持つといいですよ」みたいな話をたまに聞きます。
所属する企業とそこで与えられたポジションだけが、社会における唯一の存在証明になってしまうと、どうやら人生、割に合わないんじゃないか?という発想なんだと思います。
所属先が自分の身を守ってくれない事態になったときに、何も持たずに荒波に放り出されてしまう。だから、それ以外の居場所を持っておきましょうという考え方があるでしょう。
あるいは、異なった環境や役割に身を投じてみることで、会社では出せなかった力を発揮するチャンスが生まれるだろうという考えもあるでしょう。
「パラレルキャリア」という言葉もあるそうで、基本的にはいいことだと思います。
それでもまだ所属ありきではないか?
しかし、それでもなお、だれかを知るときに人々が意識するのは、組織→氏名という順序で、まず「どこどこの組織に所属をしている」という属性がありきで「その中にいる○○さん」という流れが一般的でしょう。
要するに、
組織(≒企業) | 個人A 個人B 個人C・・・
みたいな感覚。前述のように、本業以外で何か活動を持つと、
組織(≒企業)
|
個人A 個人B 個人C・・・
(a) (b) (c)
くらいにはなるでしょうか。Aさんは活動a、Bさんは活動b、Cさんは活動cみたいなものを、各々プライベートで持っているようになる。
それでも、まだAさん、Bさん、Cさんは、本業ありきの組織人で、a,b,cの活動はあくまでサブ。サブの活動はプライベートという言葉に括られ、自宅でメシ食いながらテレビを眺めているのと同じ扱いです。
要するにまだ、「××に所属している○○さん」の枠内です。
組織と自分の関係をひっくり返す
ところが、サブに置いていたものの比重が高まり、どっちが本業かわからなくなったり、所属や役割があれこれ増えていくと、
自分 | 企業A 団体B 活動C・・・
ってな感じで、上下がひっくり返ります。
たとえ組織であろうと、それは自分のすべてを押し込めた唯一の所属先なんかではなく、自分の一側面を示すバリエーションのひとつ、、、くらいな位置づけです。
私の場合、このほうが断然しっくりきます。
ところが世間のイメージでは逆なもんで、どうしても「○○の原さん」になりがち。よって、名刺も組織や活動ごとにいただくので種類が膨大に。
なので、それらを束ねる上位概念として個人名刺を作って、組織や活動毎の名刺を、場面ごとの自分の断片を表すものとして位置づけてみようかなと思います。
個人名刺には、ご先祖が使っていた屋号を復活させてみます。
江戸時代に原茂十郎さんという6,7代くらい前の人が、現在の青森県五所川原で立ち上げたカネモ(茂十郎の「モ」にカネをつけたもの)印を、ちょっとデザインして名刺やら資料やらにはりつけます。
なので、あえて「○○の原さん」と言うならば、これからは「カネモの原さん」ってなもんで。
カネモの原さんがやっている○○という会社 カネモの原さんがやっている○○という活動
とかとか、そんな感じです
統合された自分に向かう
自分にぶら下がっている会社や活動の中に、これぞ自分と言えるものができたときに、ようやく初めて、それを「仕事」と呼んでいい状態になるんだと思います。まずが自分あって、自分だからなし得るものができて、それを自分の「仕事」と呼ぶ。
ここまでくると、自分と組織の関係が、自分と仕事の関係に変わり、シンプルに、
自分 | 仕事
という1本の線の結びつきが確立されるのかもしれません。
(1) 組織の下にぶら下がっている大勢の中の一人としての自分
↓
(2) 組織の下にぶら下がりながら、もうひとつの側面をもつ自分
↓
(3) 上下が逆転してあらゆる側面を統合させた自分
↓
(4) これぞ自分と言えるものを持って自立した自分
という変化でしょうか。(1)~(4)でそれぞれ持つ名刺があるとしたら、
(1) 所属する組織の名刺
(2) 所属する組織の名刺+サブ活動の名刺
(3) 自分のあらゆる側面が統合された個人名刺
(4) 自分の名前だけが書かれた名刺
という具合になるのかもしれません。私はいま(3)の段階にあるんだと思います。
(4)に進むと、名前だけ書かれた名刺で自分を表現できて、それが受け入れられる。
これが理想形です。
アンチ現代社会の職業観へ
この考え方は、あらゆる職業が固定化された社会を、次のステップに進めてみませんか?という話でもあります。
多くの人が職業を持とうとしたとき、どこかの組織に所属しようとする。だれかが作った職業をなぞろうとする。しかし、所与の組織や職業なんて、たまたまその瞬間にそこにあっただけなので、何ら私たちを縛るものではありません。
就活サイトにならんでいる企業名とか職業名から選ぶのは、それが食っていくのに効率的だからとか、そこに成し遂げたい何かがあるとかなら有用ですが、職業を持つための唯一の手段ではありません。
いろんな活動を重ねていくと、それが新しい仕事なり、職業に転化することがあります。
いままで世の中になかったものでも、自分がやりたくて、かつ、それを必要としている人がいて、やっているうちに、お金を払ってくれる人が現れ、それが仕事になり、そこにほかの人も払いだして、継続しはじめたら、それが職業になる。
IT革命が叫ばれた頃、いわゆるIT企業として起業をしてきた人たちも、そこに近いのかもしれません。
もっとも、かつて我々がITベンチャーだと思っていた会社も、普通に就職活動をして新卒で入社する世代が出てきているので、すっかり所与の組織、職業として定着してきた感があります。ITの領域は、この20年くらいで、仕事が生まれ、職業になり、業界になるというプロセスを歩んできたと言えるのではないでしょうか。
活動弁士に見る職業の盛衰
新しい職業が生まれやすいのは、新たなテクノロジーが社会に浸透しはじめたときや、社会に新しい価値観が求められるときでしょう。
正確に調べてないのでわかりませんが、日本においては、近代化の幕開けとなった明治維新から、大衆社会が根付いてくる昭和の初めごろまでが、過去におけるピークのひとつだったのではないでしょうか。
インターネットで「活動弁士」を引くと、興味深い話が書かれています。
無声映画が入り始めると、劇場でナレーションを行う活動弁士と呼ばれる職業が生まれたそうです。日本はもともと、話芸の文化が発達していたため、「映画作品の内容にあわせて台本を書き、上映中に進行にあわせてそれを口演する特殊な職業と文化が出現した(Wikipediaより)」そうです。
これは、日本独自のスタイルだそうです。
無声映画を楽しむために、そうした演出をしたら面白いと考えた人物がいたのでしょう。その後、マネをする人が増えて、急速に職業のジャンルとして確立をしていったんだと思います。最盛期には8,000人規模だったとの記事もありました。
トーキー(音声付の映画)の時代になると、待遇改善のストライキなどで戦いながらも、職業としては淘汰されます。しかし、その高度な話術を持つ彼らは、漫談や講談師、紙芝居、司会者などの仕事に転じていったそうです。
(参照) Wikipedia 活動弁士
職業は流動性の時代へ
活動弁士の仕事が花開いたのは映画産業の草創期のごく短い時期だったようです。こうした流動性こそが、時代の変わり目において持っていた方がよい職業観なのではないでしょうか。
先に触れたパラレルキャリアも、そうした時代の変化に対応する生き方、働き方として推奨されているんだと思います。
所与の職業、所属との向き合い方を、従属的なものから主体的なものへ転換させる手段として、いろいろやり散らかしながら、自分の職業を新たに見出していくアクションがあってよいでしょう。
新規ビジネスというと仰々しい響きになりますが、自分らしい社会との関わり方を、試行錯誤しながら発見していく先に、お金の行き来が生まれるんだと思えば、等身大の生業としての職業が見えてくるのではないでしょうか。
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