41歳文系ノンプログラマ、ハード連携開発に挑戦す ~第0話「プログラム学習前史」

December 30, 2015

 

ITをテーマにした仕事や活動を何年もしているのに、プログラミングやら何やら、自分で作ることがまるでできないのは、いろいろよろしくないのではないかと感じて、早何年。

 

「できたらいいし、やりたいし、興味もある。でも、なかなかやらない」みたいな状態が長く続いていました。

 

英会話とかダイエットとかに、よくあるアレです。

 

とは言え、過去にプログラミングを学ぶ機会がないわけではなかったので、ちょいと振り返ってみます。

 


ひとり祭り案件でPHPデビューするも挫折

 

数少ないプログラミング体験と言えば、ちょうど10年前。

 

とあるケータイ公式サイト向けコンテンツの受託制作で発生した、年末年始の大量更新のときのこと。

運営会社も開発会社もコールセンターも、そして我々も、担当者が全員、何の体制も組まずに一斉にお休みに突入。

 

休みに入らんとするタイミングで、この事態に気づいたのが、事業部長兼ディレクターだった私ひとり。さぁ、自業自得の祭りが幕を開けます。

 

コンテンツ加工に更新作業、果ては受託業務外だったユーザさんの問い合わせ対応まで、いろんな初めての作業を、ひとりで完遂することが必須な事態で、PHPを独習してコンテンツの更新をこなすことに。

 

これがわずか数日、唯一の仕事でのプログラマ体験でした。
(ちなみにそのコンテンツは、結局途中までしか動かず)

 

これを機にプログラムを覚えねば!と意欲を燃やすも、開発メンバーからは「ハラさんは別にプログラムとか覚えなくていい。そもそもあんた、本来の仕事をちゃんとやりなさいよ」と、至極まっとうな指摘を受け、終了。

 


Android開発ハンズオンで挫折

 

次の機会が訪れたのは、2009年。フリーに転じて仙台でIT団体を立ち上げて云々・・・とやっていた頃、仙台で行われたAndroid開発の勉強会に参加をして、ちょびっと触ってみました。

 

集団のハンズオンで初心者がやりがちな「何をどうやったらそこでそんなつまづき方をするんだよ!?」状態に陥り、講師・アシスタントの人たちにもそこまで手間をかけさせられず、途中から見学者に。

 


iOSはまさかの「Mac持ってない」できっかけを逃す

 

その次は仙台でiPhoneアプリ開発講座を立ち上げた2010年。友人たちが東京で展開していた大ヒット講座を、地方にも移植しようってんで、はじめた活動でした。

 

何しろ、この講座でプログラマデビューした人が、面白いアプリを作れるようになったぞ!みたいな状況だったので、自分も講座運営側でテキストや授業に触れるチャンスを活かさない手はない。

 

・・・と思ったのですが、一番熱量のあった最初のタイミングでMacをもっておらず、貧困まっしぐらな時期だったので、始めるきっかけを逸してしまいました。

 


CoronaSDKで初めて成功体験・・・も、続かず

 

その次は2012年の暮れ。石巻ハッカソンでも高校生向けのハンズオンで威力を発揮したCoronaSDKの勉強会を、友人たちが静岡で開催したので、そこに参加。

 

用意された素材と、わかりやすい説明で、自分にもできた!と、ここでようやく、人に教わりながら自分で作ったものが、意図していたとおりに動くという成功体験が。

 

改めて振り返ると、ここまで来るのに7年かかってんですねw

 

その後、なんだかんだと忙しさにかまけて、Coronaも続かず。せっかくうまくできたのに、「自力でちょっとその先に進んでみよう」というとっかかりを、その場でつかめなかったんだと思います。惜しい。

 


失敗体験で得た心の負荷 > 失敗を乗り越えたい衝動

 

こうして振り返ってみると、自分のダメさ加減が漂いまくってますが、事実なんだからこう書くしかない。

 

手をつけてみたけど続かなかったときのことを思い起こすと、一番最初の段階でいきなり失敗して、そこから抜け出す光明すら見いだせず、なんだかもやもやしたものだけが残ってしまうと、それが失敗体験として、自分の意識の中に固定化されちゃうんでしょうね。「どーせできねーよ」みたいな。

 

「最初はだれもできないし、失敗を乗り越えて前に進むことを繰り返さないと、楽しさなんて見えてこないぜ」

 

という指摘はもっともだし、

 

「そういう意識にならないということは、そもそも興味がないからでしょ?」

 

みたいなことを言われたら「まぁ、そうかもしれませんね」で、その場から退場するしかない。

 

でも、心の中では「できるようになりたかったのにな」みたいな、いじけ根性:憧れ=8:2みたいな比率のわだかまりが残るんすよ。

 

歳を重ねて後悔することって、こういうわだかまりを、あちこちに残してきた結果が大半でしょう。

 

新しいことをはじめようとしたときに、最初に何もわからず、ワクワク(高揚感)とビクビク(不安)が同居しているところで、ビクビクがワクワクを打ち消すくらい増大しちゃうと、そこからの再起動は難しい。

 

勉強が苦手なヤツ
スポーツが苦手なヤツ
コミュ障でぼっちこじらせてるヤツ

 

みんな最初は、ワクワクもどっかに抱えてはじめてみるわけですよ。

 

ところが、崖から飛び立とうと最初の羽ばたきをした途端、バランスを崩して急降下。何が起こってるんだかわからないまま、崖下の岩場へ真っ逆さまな状態で、「ワクワクを大きくするために、この失敗を乗り越えるんだ!」とは、なかなかなりにくい。

 

小学3年生のときに、少年野球のチームに入ったんすよね。

 

はじめての練習日。グローブ刺したバットをかついで、侍ジャイアンツの番場蛮よろしく、さっそうとグラウンドに足を運び、「元気なのが来たな!」とかって歓迎されたりして。ワクワク200%くらいな感じ。

 

ところが、その数十分後には、人並み外れた運動神経の鈍さが露呈して、ボールも満足に投げられない、ゆるい球もバットに当てられないで、監督をやってた近所の青果店のおっさんに「なんでこんな簡単なことができねえんだよ!」とか言われて、メソメソ泣いちゃうわけですよ。

 

「あー、何も考えずに怖い場所に来ちゃったな」って。

 

野球自体は大好きで、大人になってもプロ野球観戦で年間80試合以上、スタジアムに足を運ぶほどの熱狂的なファンでしたが、プレイヤーとしての原体験がそんな感じなので、「野球は観るものであって、やるものではない」というのが、いまでも確固たるスタンス。

 

いまでもバッティングセンターとか、好きでたまに行きますが、一人でこっそりやります。野球に限らず、チームで球技をやるとか、もうお願いだから仲間はずれにして!ってくらいな勢いです。

 

はい、こういう悲しい思い出は語り出すと止まりません。

 

失敗体験で得た心の負荷 > 失敗を乗り越えたい衝動

 

だと、こうなってしまうわけです。みっともない。

 

だから最初に「小さい成功体験」と「気持よく動ける楽しさ」みたいなのをつかんでおきたいんすよね。それがあれば、この関係は

 

失敗体験で得た心の負荷 < 失敗を乗り越えたい衝動

 

となる。

 

そうすれば、「最初はだれもできないし、失敗を乗り越えて前に進むことを繰り返さないと、楽しさなんて見えてこないぜ」とか口走りながら、できないでグズグズしてる連中を、「そもそも不向きだからやめちまえよ」なんて罵倒する心の隙も作れちゃうってもんです。

 

 

ヘタレがハマるには、きっかけ・環境・タイミングがだいじ

 

新しく身につけようとしたものが自分の中でハマるのは、「きっかけ」が三分の一くらい、「環境」が三分の一くらい、さらに三分の一くらいが「タイミング」で、0.数パーセントのスキマみたいなところに、興味関心とか意思らしきボンヤリとしたものが介在する余地があって、うまく芽吹けばラッキーでしたねってなもんかなと。

 

人間、その先どっちに転ぶかかなんて、その時々のきっかけとの出会い方で、いくらでも変わる。

 

プログラムも、きっかけと環境にうまいタイミングで出会えれば、そのうち、楽しく続けて身につけようというスパイラルに入れるんじゃないかしら。
 

そうこうしているうちに40歳を過ぎ、いくつかの次のきっかけたちがやってくるのでした。

 

(つづく)

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