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  • Ryo Hara

東京に東京という地名はない


下神明の路地裏。歴史を重ねた先に形作られた東京の生活空間

地方の人がイメージする「東京」は、たとえば大森界隈の下町の雑踏感がある住宅地で育った私がイメージするそれと、ギャップがあります。

彼らがイメージする東京は、ビル群であり、おしゃれな店舗であり、眠らない街であり、人が冷たい街であり、といったところでしょうか。

対して、私がイメージする東京は、入り組んだ路地であり、商店街であり、様々な家庭の生活音が響き合う町であり、人の体温を感じられる町です。

私のイメージには、昭和50,60年代のノスタルジーが混在しているので、一概に比較は出来ませんが、生活感の有無が両者の差でしょうか。

地方から出てきた彼らには、子どもから大人になるまでのストーリーが、東京にはありません。だから、生活の場としての愛着は薄くて当然です。

彼らが東京が冷たいと感じる原因の何割かは、そこが東京だからではなく、そこが地元ではないからでしょう。

大森界隈で生まれ育った私には、30を過ぎて引っ越した先の地方都市こそ、真っ直ぐな道路や、似たような家が延々と立ち並ぶ人工的なニュータウンの光景、どこか交わりにくい人々に、何とも言えない違和感と冷たさを感じたものです。

ところが、何年も住んでみると、だんだん、仕事以外の知り合いや気の合う仲間、歴史を含むその土地の土の匂いのようなものが、自分の中に染み込んで来て、幾ばくかその地域に対する肌触りのようなものが出てきます。

東京に対しても、そうした感覚を得てほしいものです。しかし、東京はとかくイメージで語られることが多く、無機質で冷たく、怖い街という印象のほうが強いのではないでしょうか。

その印象を束ねた言葉こそが、「東京」という、何とも捉えどころがない二字熟語なんだと思います。

東京という言葉は、かつての江戸を改称した呼び名で、明治維新の頃、いまの山口や鹿児島から来た人々が作った急ごしらえの政府によって、そのように決められました。

江戸は、中世に太田道灌が築城した江戸城に徳川家康が入り、本格的に作られた町です。その歴史は400年。日本の町としては、新しい部類でしょうか。

もともとは農村が点在していた地域で、そのそれぞれに地名がありました。そうでない場所は、江戸開闢から付いた地名もあるでしょう。

そうした地名の多くは、和語で名付けられたところが多いようで、それらは漢字にすると、大半は訓読みになります。

東京は「トウキョウ」で、音読みです。東に移された京であり、機能的かつ機械的な名付け方です。

欧米列強が日本近海を賑わせ始めた江戸時代後半に、佐藤信淵という人物が、「都は江戸に移し、江戸を「東京」と呼び、大阪を「西京」と呼び、東京・西京・京都の三京にする、という構想を記した」ことに由来するそうで、明治になってから大久保利通の進言で、江戸から改称されたという流れだそうです。

近代化の中で東京府が置かれ、中心部には東京市が置かれ、戦時体制での統制強化で東京市が廃止、東京府がこれを編入して東京都となり、いまに至ります。

すなわち、東京という呼称は、近代化の一環で政策として決められたもので、土着の地名ではありません。近代化政策としての東京は、一極集中とセットでもあり、駆り出されたのが、ふるさとを離れて大都市で稼ぎ、暮らす人々です。

「東京」という言葉には、彼らの憧れ、悲哀などなど、複雑な感情が乗っかっており、戦後になっても止まなかった一極集中による地方からの吸い上げで成り立っている巨大都市というイメージとして定着を続けています。

その一方、彼らは旧来から存在する土着の地名を持つ地域に、生活者として根付き、ローカルの暮らしや習慣を育んできました。

かくいう私も、両親が青森から出てきて、大森界隈に住み着いてから生まれたという前提があります。青森にはルーツとしてのシンパシーはありますが、やはり地元は大森界隈です。

私の地元である大森や品川という地域は、もともと江戸の外にある地域です。大森は海苔の産地であり、品川は東海道五十三次の最初の宿場町。明治時代に東京府に編入された当時は荏原郡という郡部であり、区になったのは昭和に入ってからです。

明治以降の近代化は、欲望きらめく大都市「東京」と、生活臭のただよう土着の地域のそれぞれを、エリアの拡大とセットで発展させてきたわけで、土着の発展、拡大を抜きにして「東京」だけを語られてしまうと、なんだかだれも愛せない悲しい街になってしまい、そこに私がイメージする地元の姿はありません。

私の地元には、少なくとも昭和の終わりまで、八百屋さんや酒屋さんが、勝手口まで御用聞きに来る生活がありました。住宅地の中に小さな町工場があり、鉄を焼き切る匂いの中、路地を駆けずり回った記憶もあります。

いまではそれらこそなくなったものの、祭りになれば神輿が繰り出し、地場の商店街もまだ残っています。

それらを語るとき、そこに暮らす人たちは「東京」なんて呼び方はしません。そこは、私の地元であれば、大森であり、大井であり、戸越であり、中延であり、それぞれの息遣いがあります。

地方から出て「東京」に住んでいる人たちには、自分が暮らす街を、土着の地名で呼吸を続ける”どローカル”な地域として再発見することで、自分の街として、好きになってほしいと思います。

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仙台にいるとき限定で「ひとり勉強会」なるものをはじめてみました。 〇〇勉強会みたいなのは、これまでセミナーやらワークショップやら、全国でもう数百本とあれこれ開催しまくってきて、ノウハウらしきものもいくつかは身についてきたように思う。 テーマの決め方、タイトルの作り方、場所や日程の確保、告知の展開の仕方、チラシや告知ページの制作、集客、関係者との各種調整、主催者や共催者にあわせた建付の仕方、当日運営

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